2009年5月31日日曜日

週刊誌が売れなくなった理由

Business Media 誠というサイトで、「なぜ雑誌が売れなくなったのか?」というテーマで連載が行われている。週刊誌といえば「日経ビジネス」くらいしか読まないけど、この連載は楽しんで読んでいる。

私が「なぜ雑誌(この場合は「ゴシップ誌」)が売れないか」と考えても意味はないけど、「なぜ私が雑誌を読まないか」という理由は説明できる。

まず、電車の中づりや新聞の広告ほど購買意欲をなくすものはない。どうでもいい事件をセンセーショナルに見せかけたりする見出し、子供にとても見せられないようなヌード写真の宣伝文句などなど。ちょっと前に「殺した妹の死体を食べた」なんて見出しが目に入ったときは一日気分が悪かった。事実云々はともかく、こんな見出しで「公共性」とか「国民の知る権利」なんていっても説得力はない。

それに、他人の失敗なんて鬼の首を取ったように騒ぎ立てるくせに、自分の失敗は必至でごまかそうとする態度。朝日新聞襲撃事件誤報に対する週刊新潮の解説記事を立ち読みしたが、これがゴシップ誌の記者たちが不祥事を起こした企業に対して求めている「真摯な反省」なのだろうか?食品偽造を散々非難するくせに、記者たちはこんなことを平然と行う。

それに悪口のひどさ。仮にも一国の首相や大臣を見下した見出しも不愉快。別に現政権を支持しているわけではないが、この悪口の品のなさには我慢できない。

とまあ、これらが私がゴシップ誌を読まない理由で、これらがなくなったところで私は全く困らない。上記連載では「雑誌ジャーナリズムが悪を暴いた」なんて偉そうなことを言っているが、その「雑誌ジャーナリズム」に泣いている被害者も多いことだろう。こういった記者・編集者たちの「エリート意識」というか、取材対象者や読者を見下した態度には不愉快なものを感じる。

さて、意味がないと思いつつ、私なりに雑誌が売れない理由を考えてみた。

私もそうだけど、人間には他人の失敗・弱点を見下して自分のプライドを維持しようとするところがある。今までは、こういった欲求はゴシップ誌によって満たされてきたが、インターネットという巨大な痰壺が登場し、だれでもゴシップ記者と同じようなことができるようになった。

ゴシップ誌がデタラメといっても、一応関係者には取材しているだろうし、配信できる紙面にも限度があるから「記事の生産性」に限界が出てしまう。ネットユーザは裏付けなんてしないで堂々と事実をねつ造するから無制限に記事を生み出せるし、他人のブログだって「炎上」という形で「紙面」になる。それに、今までは配信手段がなかったために「読者」という立場に甘んじてきたけど、インターネットなら自分だってジャーナリスト・評論家気取りで偉そうなことを主張できる(このブログだってそうか)。そんなエンターテイメントが通信費以外はタダ。金を払ってゴシップ誌を買う必要なんてなくなる。

そもそもゴシップ誌の記事を信じるような人はインターネットの誹謗中傷だって信じるだろうから、今更ゴシップ誌が「ネットの記事は信頼性が低い」なんて主張は通らない。今まで自分たちがやってきたことがネットユーザにやられているだけで、ゴシップ誌の記者・編集者たちが記事の信頼性・公共性をおなざりにしてきた当然の結末である。

Googleが誕生してから中途半端な規模・方針ではビジネスは成り立たなくなった。今後、ゴシップ誌をビジネスとして成り立たせるには、中途半端なジャーナリスト精神を捨てさって「雑誌に載っていたから、これは嘘だろう」といわれるくらい徹底したゴシップ記事をねつ造し、ネット広告とPDF配信で流通費用を削減し、規模でなく利益を確保していくことだろう。何しろ、ゴシップ記事へのニーズがなくなることは決してないのだから。

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