2010年4月30日金曜日

Appleに関する雑感

Appleに関して2つのニュースが話題になっている。1つ目は、多くのECサイトでApple製品が購入できなくなったことだ。このニュースを聞いて、私がまだMacユーザーだったころを思い出した。90年代後半では、Appleでは新製品が発表されると現行品が値崩れするのが当たり前だった。私にとってApple製品は、販売から半年くらいで半額となる「お買い得品」で、そのタイミングで会社のPCを補充していた。しかし、シェアの割にAppleの財務状況は悪く、Appleの身売り話が盛り上がっていた時代でもあった。

しかし、ジョブス氏のApple復帰&iMacの登場から値崩れ品は出回らなくなった。ジョブス氏のやり方を一言で言うと「出し惜しみ」だろう。情報を小出しにしてユーザーをじらし、販売開始時に食らいつかせる。非常に洗練されている。今回の措置も、Appleがパートナーの関係よりも自社のブランドを守ることを優先した結果だと思う。

もう1つのニュースは、ジョブス氏がiPhoneにFlashを載せることをかたくなに拒否していることだ。ジョブス氏は他社の都合で機能強化を左右されるのはゴメンだと主張している。

やはり、私がMacユーザーだったころを思い出す。1990年代にはデザイン制作にMacがよく使われていたが、デザインソフトの代名詞であるAdobeのPhotoshoptやIllustratorがWindowsでも動くようになるとMacのシェアは落ち込んでいった。新入社員がWindows版のIllostratorを使ってデザインしているのを見たときには違和感を感じたが、今ではMacでデザインする人のほうが珍しい。

おそらくジョブス氏は「プラットホームはプラットホームにすぎない」という事実を理解しているのだろう。AdobeがiPhone版のFlashだけ機能拡張をやめてしまった場合のダメージを考えると、恐ろしくてiPhoneでFlashを解放する気にはなれないと思う。なぜ人々がMacやiPhoneを求めるのか? プラットホームが理由でなく、プラットホームで動くアプリが目的だからだ。

90年の末期的なAppleを知っている私にとって、Appleの復活は奇跡としか思えないのだが、この復活が実は屈辱的な経験から学んだ結果から生まれた「必然」だったことに気づいた。日々多くの会社が生まれると同時に多くの会社が消えていくが、生き残っている会社にとって「屈辱的な経験」は一種の通過儀礼だと思う。

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