2010年5月6日木曜日

ショッピングモールとアメリカ文明

ゴールデンウィークにカミさんと一緒に武蔵村山のイオンモールへ行ってきたが、そこはまさにアメリカそのもの。高校時代にアメリカに留学していたときを強く思い出させた。なんか日本がどんどんアメリカになっていくような気がして、少し寂しさを感じた。

日本資本のイオンモールでアメリカを感じるというのもおかしな話だ。例えばマクドナルドに「アメリカ」を感じたことはない。アメリカ留学前からマクドナルドに接していたからだろう。また、留学していたころにはスターバックスもコストコもなかったため、それらにアメリカを感じたこともなかった。

イオンモールでアメリカを感じた時、司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」を思いだした。氏がアメリカに訪問したときの記録だ。その冒頭で「文化」と「文明」を次のように定義している。

「人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているるものが,文化と文明である。いずれもくらしを秩序づけ,かつ安らがせている。

文明とは『たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』をさすのに対し,文化はむしろ不条理なものであり,特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので。他には及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。

この定義に従い、氏はアメリカを文明と呼ぶ。

普遍性があって便利で快適なものを生み出すのが文明であるとすれば,今の地球上にはアメリカ以外に,そういうモノやコト,もしくは思想を生み続ける地域はないのではないか。

そういえばバンコクのセントラルワールドプラザに訪問した時も同じことを感じた。韓国や中国にいった知り合いからもショッピングモールの話を聞いた。おそらく、ショッピングモールとは人間の消費欲を満たす商業形態であり、その消費欲こそが普遍的な価値を有しているのだと思う。日本人やタイ人、中国人、韓国人が「アメリカ化」していくのではなく、人間の欲望が「アメリカ化」という形で具現化していると考えたほうがよいのだろうか。

そんなことをつらつら考えていたら、さだまさしの前夜(桃花鳥(ニッポニア・ニッポン))という曲を思いだした。「友達がみんなアメリカ人になっていく」と心配している「僕」に対して、「君」はこう答える。

馬鹿だね そんな風に 自然に 変わっていく姿こそ それこそ この国なのよ さもなきゃ 初めからニッポンなんてなかったのよ

「この国」はニッポンだけなんだろうか?

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